みなさん、こんにちは。
すっかり涼しくなってきましたね。
私は9月の連休に淡路島の実家に帰省して、
母が育てたさつまいもを息子といっしょに収穫したりして、のんびり過ごしていました。
芋掘りをした日の夜、父がぽろっと一言。
「みきは、こういう畑仕事、一番やらへんからなぁ」と。
たしかに子どもの頃の私は、きょうだいの中でも畑仕事のお手伝いをほとんどしない
めんどくさがり屋の子どもだったけれど、今は違うんです!笑
と、父に物申したかったんですが、同時に、
たしかに「人から見た自分像」ってあるよなぁ、と考えていました。
「あなたはめんどくさがりだよね」
「あなたは考えすぎるよね」
「あなたは人に興味がないよね」
何気ない一言でも、言われた本人は、意外と覚えているもの。
そして、人の言葉を真に受けて、それが自分だと思い込んでしまうことがあったります。
私の場合は、小学生の先生の一言がきっかけで、
「優等生」であることが自分だと思うようになりました。
それ以来、
- 人に寄り添うことよりも、ルールや規律を守ることを重視する
- デキない人を見下して、人より優れているという優越感に浸る
- 間違うことを極端に恐れて、いつも、どこか不安を感じている
- 周りに頼らず、自力で頑張る
- 周りの期待に応えることが当たり前になり、自分のことは後回しにする
というような生き方をしてきました。
まるで「優等生なんだから、そうしなければならない」と、自分に課していたような。
この生き方こそ、自分らしい生き方だと信じている一方で
常に気を張って頑張っている、自然体とは程遠い感じでもありました。
また、人にやさしくしたい、間違うことを恐れずにもっと気軽にチャレンジしたい、
人といっしょにやりたい、という気持ちが、心のどこかにあって
ふとした瞬間に何度も出てくるんですが、
その度に、「それは自分らしくない」と、自分の気持ちをうり消していました。
今思えば、たまに出てくるこうした気持ちこそ、自分がこうありたいと願う姿の一端だったのに
そうやって生きることを「優等生」の自分が許さなかったのだと思います。
本当の自分の声を抑えながら
自分とは違う人間になろうと頑張ることが当たり前になっていたので
大人になっても、自分のことが全く掴めないままでした。
こんなふうに、大人になっても自分のことがよくわからない、という人や
自分の人生をちゃんと生きていないような気がする、と感じている人は
少なくないような気がします。
それは、自分で自分に貼ったレッテルが関係しているかもしれません。
私の場合、30代半ばで、自分が自分にレッテルを貼っていたことに気づきました。
そして、それはもう今の自分には合わない、と感じたんです。
それ以降、今までいくら考えてもわからなかった、
自分の価値観や自分のやりたいことを見つけることができたのと
(これだけでも、そのときの私にとってはすごく大きなこと!)
レッテル通りの人生を生きることで、
得られたものの大きさに気づくこともできました。
※どうやって気づいていったのかは【体験談】にくわしく書いています☺️
みなさんは、自分に貼っているレッテルはありますか?
あるとしたらどんなレッテルでしょうか?
それは今のあなたを本当に表していますか?
それとも、今のあなたには必要のないものでしょうか?
ブログ更新のお知らせを
LINEでお届けしています
